シングルマザーになって、5年が過ぎた。息子は8歳になり、いつのまにか、父親と一緒に暮らしていた期間より、母親とふたりになってからの人生のほうが、圧倒的に長くなった。
この数年、時々考えていた。
「息子の父親と3人でうまくやるには、どうなっていればよかったのか」
「解散を選ぶことになった根本の原因は、何だったのか」
というようなことを。
夫婦を解散するということは、一緒にいないほうが幸せでいられると判断したわけで、そこには根深い「不一致」があるといえる。一方的に相手がわるい、もしくは自分が未熟で、というのではない。ただ折り合わない点があったという意味だ。
音楽バンドが「方向性の違い」で解散するのと似ていて、すべての根本は「自分の期待したようにならなかったから」「自分が快適でなかったから」だろうと思う。
「子ども」という、結婚当初にはなかった「不確定要素」が、関係を変えることもある。実際のところ自分たちの場合は、それ以前に課題はあったと思えるが、子どもという追加事項で、さらにバランスを取るのがむずかしくなった。
あれこれ考えてきた結果、わりとハッキリわかったことがある。
子どもは、生んだ母親が「ひとりで育てる」と決めて始めるほうが、うまくいくだろう。
夫婦で協力してうまくいくのが理想なのは、もちろんそうだ。でも実際のところは、仕事とかほかの色々な都合で、どちらかに多めの負荷が掛かる。
家のことは夫婦でやる、という前提にしてしまうと、どうしても相手に期待がうまれる。ふたりでやる、ということになっているのだから。これはあなたもやって当然でしょう、だってあなたも親だし、みたいになる。
でも、日々かなり綿密なすり合わせをする以外に、「自然とお互いに不満もなく十数年うまくいってます」ということは、あまり起こらない。そしてだいたいの場合、その綿密なすり合わせをする余裕はなかったりする。

ひとり親になるとき、「この子はわたしがひとりで育てるんだ」と決めた。そこから実際に離婚届を出すまでの約3か月、こちらの心情としてはかなり「楽」だった。元夫と変わらず同居していたが、「相手への期待がまったくなくなった」以外に、変わったことはなにもなかったのにも関わらず。
相手への期待がなければ、自分の中で不満はたまらないんだ、というシンプルなことを、このとき身を持って知った。
離婚しないまでも、最初から「子どものことは、母親である私が全部やります」ということにしておけば、同じような効果があると思う。
根本的に、相手に期待しない、自分が全部選んでいる、という状況が作れたら良いわけだ。
この持論を男性の親友に話してみたところ、「全面的に賛成」と太鼓判を押された。
女性側が自立した考えを持っており、男性に何の期待もしてこない。追われると逃げたくなるのが人間の性だ。期待されるのは、たとえ責任が半分あるだろうと言われようとも、正直なところ負担は大きい。
生物学的に、男性はそう作られている、と彼は言った。自分の子孫をただ残したい、という本能。
逆に何も求めてこないのであれば、自分に何ができるか男性側は考えたくなるだろう。大切な女性から頼られたら嬉しくなるシステム。男性はそう作られているのだ、と、彼は続けた
また、特に子育て初期は、男性だからこそ担える役割、なんてものはそれほどない。おばあちゃんでもおねえちゃんでも勤まることばかりだからだ。

そんな中で唯一、彼にしかできないことがある。「パートナーの女性をひたすら大事にすること」だ。
子どもは、自分の母親を大事にしているパートナーに対して、絶対にいい印象を持つ。幼い子どもの世界は、家の中がすべて。そこをいかにいい空気にするかを、男性が考えて実践することだ。
あたりまえだ、と期待されてやるのとは、行動の動機がそもそも違う。確かにそういうパートナーであれば、「自分ひとりでやりますから」と勝気に公言していても、実際なんだかんだ、いい気分で育児も家事もできてしまいそうだ。
話を戻すと、ひとまず「女性は自分がひとりで育てると決めること」。そうなると、選択肢はかなり広がる。
たとえば子どもを持つには、生物としては年齢的な限界がある。もしその限界が近い感じがするなら、相手が準備が整う前でもいいから、とりあえず生み出してみたら良いのでは、とも思っている。
子どもは、いてもいなくてもどっちでも良いと思う。ただ、ひとりいるかいないかは、かなり違う。もし「ほしい」と思うのなら、そう悠長にしてもいられない。いい相手を探して婚活するのも楽しそうだが、それよりまず「自分ひとりでなんとかしよう」と決め、自分にある程度の経済力をつけるほうが、きっとカンタンに次に進める。
