時々を気の向く場所で過ごしたい私の人生に、住居を買うという選択肢はなかった。一方でそんな志向を持つ者としては事もあろうに、生業の一つとして住宅関連の仕事に長く就き、こだわりの空間での充実した暮らしへは憧れすら感じていた。人というのは常に矛盾を抱えて生きているものだと思う。
ところで、ある人類学者によれば、数百万年ものあいだ遊動生活を選んできた人類は、およそ一万年前、いくつかの要因によってその生活を諦めて定住へ移行した。この変化は「定住革命」と名付けられ、人類の生活に大きな影響を与えた。
ちなみに遊動民たちの基本戦略は「不快なものには近寄らない」そして「危険があれば逃げる」というものだったそうで、現代であらゆるストレスの元凶となっていそうなアレコレを打ち捨てたライフスタイルが遊動ともいえるかもしれない。遊動民にとっての定住はリスクだっただろう。
ただ、生物の進化は適者生存が鍵である。人類は徐々にそのリスクを受け入れて適応していった。言うまでもなく、現代日本においては定住していることがスタンダードといえる。
一方で、一ヶ所にしばらく滞在することを考えただけで憂鬱になる私は、適者生存を勝ち抜いてきた種の一部とは考えにくい。遊動を強く好む性分は、本来人類が持つ本能を強く残しているような健全性を感じる一方、現代においてはたぶん単なるバグだろうと思う。
ところがそんな人類にも、現代は救いの手をもたらした。偶然手にした洋書には可愛い車が載っていた。それはフォルクスワーゲンが60年代に生産していたワンボックスカーで、一般に”ワーゲンバス”と呼ばれた。書物の中で欧米人たちはこのバスで暮らし、旅をしていた。その光景は、この人生において初めての一目惚れだった。
ひと昔からあるような白くて大きなキャンピングカーの存在は勿論知っていたし、そこで暮らそうと思えば暮らせること自体は、安易に想像ができた。ただ自分がそこで暮らすことは全くイメージできなかった。失礼を承知で言えば、それは憧れの対象ではなかった。
ところが”ワーゲンバス”は違った。自分がそこに住み、どこまでも一緒に旅をする日々を妄想すると、仕事も子育ても何もかもを放り投げて走り出したくなった。遊動とこだわりの空間を両立する方法を見つけたのだ。
ところがあいにくそのバスはとっくの昔に生産が終了している上に、今でも人気があるためカンタンには手に入らない。当然、価格も価格だ。諦めなければならない理由を両手に余るほど並べたあと、私は可愛いあの子を忘れることにした。
柔肌に食いついた蛭のように諦めの悪い私は、せめて遊動生活だけは実現しようと、10万キロ以上走った古い商用バンをリノベーションして叶えることにした。全くの素人だったが、車の内装を引っ剥がしフローリングを張り、漆喰塗りの壁をしつらえる経験はなかなかいいものだった。
商用バンでの暮らしは順調だった。可能な限りこだわった車で移動する生活は、おもしろいモノや人と出会わせてくれ、日々充実して暮らしている実感を得られた。
その生活を半年ほど続けた頃、慈悲深いどこぞの神が私の元に最高のギフトを降らせた。それはVWがキャンピングカー老舗のウェストファリア社と作った、メーカー純正キャンピングカーだった。もちろん価格も価格だが安心していい。これは車ではなく住居だ。数多の諭吉たちも喜んで出向してくれることだろう。こうして私は、偶然見つけたそれを初対面から2分で購入した。定住革命のさなか、遊動を泣く泣く諦めたであろう人類のことを思うと、いい時代になったものだとつくづく思う。