潮目が変わる出来事というは、ときに不意に訪れる。退屈な朗読を聞いていたアリスが、突然現れた白いウサギを追いかけて大冒険にはまってしまったように。また私が何かのお告げに促されるかのごとく、それまでの生活すべてを捨てて車に居を移すと決めたように。
私は綿密な計画も大胆な行動力も持ち合わせていなかったが、いつでも昼寝への情熱を忘れないのび太のように、「私も白いウサギを追いかけたい」という切望感だけは忘れなかった。
その所望を満たすため、私はすでに南アフリカへの引越しを決めていた。新しい住処と息子の学校、航空チケットの手配を済ませる程度には本気だったが、車を発注した日にすべてキャンセルした。なぜこうなったのか今でもわからない。まず日本の白ウサギを探してから海を渡れ、という思し召しかもしれない。得てして潮目とは誰にも予想できない方向へ渦を巻くものだ。
南アのAirbnbの代わりに新居となったのは、三菱の商用バン、デリカカーゴ。車両登録の平成17年は私が社会人になった年で、これには運命の巡り合わせを感じた。(これといった功績はないとしても)私が如何にかこうにか大人として生きてきたのと同じだけの年月、彼女も一途に12万キロを走破してきた末、縁あってここに会した。心の友よと駆け寄りたくもなる。
そんな心の友は、ひとまず居住用に改装される必要があった。私は今まで頑張って働いてきました、という風体の彼女は、手を加えないことには住居には到底なり得なかった。安楽死寸前の彼女にしてみれば、寝耳に水だったことだろう。
驚いたことにその作業は、基礎が必要ない以外、まさに建築そのものだった。金属の骨組みに木製の梁を打ったあと、断熱材を施し、厚手の合板で壁の下地を作る。それまで家を作った経験はおろか、電動ドライバーを握ったことさえなかったが、2ヶ月経つ頃には一端のリフォームの匠を自称した。
モロッコの洞窟をイメージした車内は、ウォルナット色のフローリング材と漆喰の白壁で仕上げられ、その凹凸のある壁に映える漆黒の照明と、真鍮の建具で彩られた。そして速水もこみちが仕上げのオリーブオイルを欠かさないように、私も締めのスパイスに、デンマークの家具デザイナー、ハンス・J・ウェグナーのデイベッドを採用した。(白い張り地を選んだため、赤ワインを飲むときだけは気が休まらないが)15年来の憧れだったウェグナーの家具で眠りにつく日々は、なんとも充足感がある。
まだ少女だった頃、泥団子遊びに夢中になったように、私は車の創作に没頭していた(そして4歳だった息子から「おとなのおもちゃみたいだね」とコメントをもらった)。
Amazonを開けば何でも買える時代となって久しい。そしてその恩恵も充分受けてきた。その一方で「誰かが作ったものを買う」のが当たり前になり過ぎた結果、本当に楽しいことを忘れていたのかもしれない。左官用の鏝を握りしめながら、私はそう感じていた。