八重谷湧水は日本一あぶない湧き水スポットだった

奥伊勢の森にて|2023.08.28

木々が生い茂るあたりには、見知らぬ鳥の甲高い鳴き声が響き渡り、霧が立ち込める。それほど標高は高くないにもかかわらず、それまでより明らかに気温が低い。往路のどこかに結界でも張られていたのではないか。

私はここにいつも、もう無事で戻れないかもしれない、という緊張感と共に訪れる。

この自然の森はもちろん手入れなどされておらず、車道にせり出した枝葉が時折、愛車を激しく打ち付け恐怖心をあおる(傷が気になるような車で行くことはおすすめしない)。

スマートフォンは当然のように通信圏外であり、人も車も殆ど通らない。私は思わず、道中でエンジントラブルが起こることを想像し身震いをする。

奥伊勢の山中にある、八重谷湧水。日本随一のあぶない湧水スポットだ。なぜならそこには、地中から湧き出した豊富な水がつくりだした、思わず歓声をあげてしまうほど美しい泉が突如現れるからだ。そしてそれを目にするやいなや、奇行に走る人が続出している。あぶない泉を前にしては、大の大人が正気を保つことができなくなるのだ。

泉は広く深く、それは大関・小錦が5人同時に首までゆったりと浸れるほどであった。またその温度は季節を問わず14℃程度を保っているため、勝負後の小錦がほてった体を休めるのにうってつけである。水温を聞いてもピンとこないかもしれないが、それは古今東西どの水風呂より優に低温であり、真夏でも手足が痺れるほどだ。

8月のとある午前、連れ立って訪れた友人のひとりは感動のあまり、歓声とともに服を脱ぎ捨て、ためらうことなく泉に飛び込んだ。そしてその後に予定していたランチが満腹で入らなくなるほど、湧きたての水を飲みに飲んだ。そして私は素っ裸の彼女を社会的に守るため、森の入口で見張りをする羽目になった。

(人体は、体温より10~15℃温度の低い水を美味しいと感じるようにできているらしい。本能的に飛び込みたくなるのも無理はない。)

またべつの友人は、多量のマイナスイオンの浴びたせいか心身が軽くなりすぎ、踊りだす体を制御できなくなった。そして彼女は森が作り出した美しい苔で足をすべらせ切り傷をつくり、ドラッグストアへ直行する羽目になった。

またこの泉には天然のイワナが生息しており、その稚魚がドクターフィッシュさながら足の角質をきれいに取り去ってくれる。だがこのサービスを知らず不用意に足をつけた私は、ゾワゾワするこそばゆさに悶絶する羽目になった。

こんなふうに訪れた者を(結果的に)感動させてくれるあぶない泉だが、唯一我が息子(5)にだけは待遇が違った。

角質なき彼はイワナからは不人気だった一方、(恐らく美味しいものに目がない)蛭が数匹、彼のプリプリの美味しそうなお尻に食らいついた。驚きのあまり、この世の終わりかのように泣き叫んだ息子。気の毒だが、自然界というのは本来そういうあぶない出会いのある場所なのだ。


摩衣
白いうさぎを追う人
根性なしキャンパー
すきな熟語は"孟母三遷"と"日本酒"
おしながき