白うさぎを追って

    『普通』は、誰が決めたのか?| レールから外れてわかったこと

    『普通』は、誰が決めたのか?

    「本当はこうしたい」
    と思っているのに、なぜか躊躇してしまう

    誰に咎められるわけでもないのに、
    これは、ちょっと違うかもしれないと感じて、やめてしまう。

    その違和感の正体は、何でしょう。
    もしかしたら、誰かの声が聞こえているのかもしれません。

    父親、母親。先生。上司、友人、SNSで見かけた誰か。
    もしくは、当たり前になりすぎて、出どころなんてわからなくなっている「なにか」。

    その「普通」には、必ず出どころがあるはずです。

    「普通」の正体は、誰かの都合

    「普通」と呼ばれているもの。

    だいたいは、ある時代・ある場所・ある集団の「都合」から生まれているものです。

    たとえば、

    • 「女性は結婚して子どもを持つのが普通」
      → 高度経済成長期の家族モデル
    • 「正社員で働くのが普通」
      → 終身雇用が前提だった時代の価値観
    • 「朝型生活が普通」
      → 農業社会・工業社会の名残

    こういうのは、まさにそうだ。
    人間の本質ではなく、その時代に都合がよかった仕組み

    だから、時代が変われば、普通も変わるはず。

    私たちは、本当は頭では分かっているんです。

    でも、反射的にこう思ってしまう。

    例えば、妙齢の女性の未婚だと聞くと、

    「なにか特別な事情があるんじゃないか」

    知人の息子が大学を出たあと、就職をしないで家にいる、と聞けば、

    「せっかく大学まで出したのに、気の毒に」

    みたいに。誰でもいくつかは、思い当たる「普通」がある。

    では、どうして「時代遅れ」だと頭で分かっているのに、その「普通」は消えないのか。

    考えてみました。

    それはおそらく、この「普通」が

    ただの情報ではなく、感情とセットで刷り込まれているから

    「みんなと同じにしなければ」という不安とか、

    「外れたら危険だ」という恐怖とか、
    漠然とした「負の感情」。

    こういうのは、そうカンタンに理性だけで消せるものでもない。

    だからこそ「普通」は強い。

    頭では否定できても、感情が手放させてくれない。

    「普通」は、内面化される

    困ったことに、この「誰かの都合」は、いつの間にか「自分の価値観」になる

    しっかりプログラムされてしまっている。

    私自身、反射的に出る感情をあとで見返すと、そう感じることは多いです。

    心理学では、こういう現象を

    「内面化(internalization)」

    と呼ぶそうです。

    繰り返し聞かされた言葉は、やがて自分の価値観になる。

    「ちゃんとしなきゃ」
    「みんなと同じにしないと」
    「できない自分は、だめなのかもしれない」

    この声は、もともとは外から来たもの

    でも長く聞きすぎて、「自分自身の価値観からの判断」だと信じ込んでしまう

    これが一番ややこしい。

    誰かに言われたわけでもないのに、「これは(普通じゃないから)やめておこう」と自分で選択肢を狭めてしまう。

    (これを「自己検閲」というそうです)

    集団の中で自分の考えを封じ込める、心の動き。

    これ自体は、周りの人たちとうまく関わる上では大事なこともあります。

    反面、自分で自分を縛っていることもある。

    外から縛られているのではないから、その場その場では痛みがない

    だから気づきにくいのです。

    「普通」から外れると、不安が襲ってくる理由

    では、なぜ私たちは「自分で自分を縛る」ようなことをしてしまうんでしょう。

    それは、人間が社会的な生き物だから。集団から外れることに、本能的な恐怖を感じるようにプログラムされているらしいです。

    昔は「村八分」にされることが、文字通り生死に関わる問題でした。

    食料も安全も、コミュニティに依存していたから。

    だから「みんなと違う」ことは、脳にとって危険信号だった。

    いまでも大都市以外では、ご近所まわりで変な噂が立ったらその地域で暮らしづらくなるといいますよね。。

    でも本当は、もう状況は変わっているんです。

    村八分にされても、別のコミュニティに移ることができる。

    会社を辞めても、別の働き方を選ぶ自由がある。

    結婚しなくても、自分の力を頼りに生きていける。

    不安の正体は、「実際の危険」ではなく、「昔の記憶」が作り出す幻影。

    「普通」の通りに生きていたら安牌な時代があったからです。レールに乗っているほうが、安心・安全・安定だと思う。

    脳が急な時代の変化についていけていないから、感情は不安を感じて「危険だ」と叫び続ける。

    この不安は、情報としては古いけれど、感情としては本物です。

    だから、どう付き合うかが大事になってきます。

    私も、レールから外れてみた

    私も、ずっとこの「レールから外れる」ことへの強い違和感を持ち続けてきました。

    父親の思想で「これからの時代は、絶対に専業主婦にはなるな」と言われて育ったこともあって、自活することへの意欲はありました。

    (これも、良し悪しの評価はさておき「縛り」ではありますね。)

    でも本当は、大学を出たら海外に行きたかった。

    それでも、「新卒で就職しないと詰む」と思って、ちゃんと卒業の翌月から正社員になった。

    転職こそたくさんしましたが、辞めるのは「必ず次が決まってから」にしていました。

    結婚したいと自分で思ったことはなかったけど、20代前半に結婚もしてみました。

    でもそのあと、40歳を超えてから、家を解約しました。

    幼児だった息子のインターナショナルスクールも辞めて、旅する暮らしを始めました。

    すると、どうでしょう。

    「なんにも困ったことは起こらない」のです。

    もちろん、不便なことはあります。

    郵便物の受け取りが面倒だったり、住民票の管理に手間がかかったり。

    でも、「人生が詰む」ようなことは何一つ起こらなかった。

    それどころか、選択肢は増えました。

    息子は日本中を旅しながら、現地でしか知り得ないことを学んでいます。

    デザイン関係の仕事をしている私は、「2枚のモニターがないとちゃんとした仕事ができない」と思い込んでいました。

    でも今は、小さいノートPCひとつでも仕事ができるようになった。

    「普通」から外れたことで失ったものより、手に入れたものの方がずっと多かった。

    自由。選択肢。新しい景色。

    「普通」を全部捨てる必要はありません。

    自分に合うものは使えばいい。

    大事なのは、「普通」を疑う力を持つことだと思うのです。

    じゃあ、どうすればいい?

    どうすればいいか悩む女性

    ひとつの提案ですが、この3つの問いを、自分に投げかけてみるのはどうでしょう?

    • この「普通」は、誰が決めたのか?
    • この「普通」は、今の自分に合っているか?
    • この「普通」を守ることで、私は何を失っているか?

    たとえば、「子どもは学校に通うのが普通」という思い込み。

    • 誰が決めたのか?
      → 明治時代に作られた義務教育制度。
    • 今の自分(と子ども)に合っているか?
      → 学校が合わない子もいる。無理に通わせることで、失っているものはないか。
    • 守ることで失うものは?
      → 子どもが自分のペースで学ぶ時間。親子で過ごせる貴重な時間。

    この3つの問いを使うと、「普通」の正体が見えてきます。

    そして、自分で選べるようになる。

    すべての「普通」を疑う必要はありません。もちろん、そのレールが一番の選択肢である場合もあるし。

    いいとこ取りをすればいいと思います。

    働き方、パートナーシップ、住む場所、お金の使い方。

    あなたの中にある「普通」に、この問いを向けてみてください。

    「普通」は、選べる。

    働き方、パートナーシップ、子どもの教育、住む場所。

    つづきは、また次の記事で。

    読み終えたら、明日が少し楽しみになる。

    そんな言葉を、ここに綴っていきます。

    今日の1ミリ

    読み終えたあなたに、30秒でできる小さな一歩を。

    「普通はこうするもの」と思っている習慣を、1つだけ書き出してみる。

    その「普通」を、誰から教わったのか思い出してみる。

    「私にとっての普通は、これでいい」と、声に出してみる。